AIは労働力の代替ではなく、バウムクーヘンづくりの職人の一番弟子【株式会社ユーハイム】
ドイツの伝統菓子であるバウムクーヘンを製造・販売するユーハイムは、創業以来1世紀にわたり、本場ドイツの規格、製法を守り、おいしいバウムクーヘンを追い求めてきた。いまも添加物を使わず、伝統的な純正材料を使っているのは、おいしさと品質にこだわり続けているからだ。しかし、バウムクーヘンをつくる職人技を継承するのは難しい。次世代の職人をいかに育てるかは、ユーハイムの大きな課題である。
そこで開発されたのが、AI機能を搭載したバウムクーヘン焼成機「THEO(テオ)」だ。生地をセットすれば、AIが自動的に焼き加減を調整し、職人と同等レベルのバムウクーヘンを焼き上げることができる。
現在、ユーハイムは名古屋にある食の未来をテーマにした同社の店舗「BAUM HAUS(バウムハウス)」に「THEO」を3台設置。お客様に見学していただきながら、焼き立てのバウムクーヘンの販売をしている。また、「バウムクーヘン博覧会」と銘打って、各地の百貨店のイベントスペースに「THEO」を持ち込み、焼き立てのバウムクーヘンを食べていただくイベントを開催している。さらに、各地の和菓子屋さんやカフェ、結婚式場に「THEO」を貸し出すBtoB事業にも乗り出した。
今回はユーハイムの中央工場長兼次世代機開発プロジェクト長の松本浩利さん、BtoB事業開発室室長の山田健一さんに「THEO」開発のきっかけや背景、狙い、開発に至った経過や現在の課題、そして今後の目標などをお伺いした。
お菓子の会社がAI機能を搭載した焼成機の開発を始めた理由
Q/AI焼成機「THEO(テオ)」の開発のきっかけからお聞かせください。
A/当社の河本英雄社長が南アフリカに行ったときに、スラム街の子どもたちが笑顔で現地のお菓子を食べている様子を見て、バウムクーヘンを届けたいと思ったのがきっかけです。「お菓子が子どもたちを幸せにするのは世界共通なんだ」と意を強くし、「お菓子を通して、世界平和に貢献できるのではないか」と思ったんですね。
ところが、南アフリカにバウムクーヘンを持ち込むのは大変なんですよ。重いし、税関を通すのも一苦労だし、あげく現地からはバウムクーヘンをスラムに持ち込まないでほしいと言われました。地元の経済を壊しかねないからです。
そこで、次に考えたのが現地でバウムクーヘンをつくることです。そうすれば、現地の仕事にもなるし、焼き立てを食べてもらえる。しかし、職人を長期間、派遣することはできないので、焼成機を現地に持ち込んでインターネットで遠隔操作できないかと考えたのです。そのために、社内にバウムクーヘンプロジェクトを発足させました。
Q/インターネットを介した遠隔操作とAIによる自動焼成とは、距離があるように思うのですが……。
A/国内の遠隔操作はうまくいったのですが、地球の裏側の南アフリカと通信すると若干のタイムラグが生じ、微妙な焼き加減を調整できないこともわかりました。また、遠隔操作を考えるとバウムクーヘンの焼成機の状態を可視化する必要もあり、焼成自体がどのようなメカニズムになっているかを解析する課題も出てきました。
従来の焼成機は温度計もなく、焼き加減やオーブンから出すタイミングは職人の感覚が頼りでした。バウムクーヘンは回転させて焼くのですが、その回転速度を加減するのも職人の技でした。若い職人はベテランの背中を見て技を覚えてきましたが、職人が高齢化する一方、現在は技能伝承が難しくなっています。とくに海外での職人の育成に苦労しています。
そこで、焼成のメカニズムを解析して、若手でも使える次世代の焼成機を開発しようと、温度やタイミング、回転速度などのデータ取りから始めました。収集したデータとおいしさや品質との相関関係を調べようとしたのです。ところが、様々なパラメータのデータを取れば取るほど、わからなくなりました。データの種類と量があまりに膨大で、人手で処理するのは不可能でした。
地道にデータを取り続けたことが、その後のAI開発につながった。
Q/それでAIに目を向けられたのですね。AIのノウハウはどのようにして得られたのですか?
A/おっしゃるとおり、そこからAI開発が始まりました。もちろん、社内にAIについての知見はありません。最初は大学の先生に入っていただいて、メカニズムを解析するために、有意性のあるパラメータや使えるデータの割り出しを手伝っていただきました。
その次がいよいよデータを使ってAIを開発する段階です。温度や時間などは一般的なセンサでデータを取れるのですが、難しかったのは焼き色をデータ化することでした。ここで食品の製造にAIを採り入れていたメーカーに協力を仰ぎました。そのメーカーは視覚センサを使ったAIが得意で、例えば、食材の色をセンサでとらえて良品不良品を判別していました。バウムクーヘンも焼き色を見極めることが重要ですので、優れた画像処理の技術を持ったメーカーとタッグを組めたことは大きかったと思います。
Q/大学の先生や協力メーカーがうまく見つかりましたね?
A/いずれもお付き合いのある大手企業からのご紹介から始まっています。ご紹介いただいた両者とうまくコラボができたのは、第一に、その前から様々なデータを取り続けていたからです。結局、自力でメカニズムは解析できなかったのですが、試行錯誤しながらデータを蓄積し続けていたことが次の道を拓いたと思っています。
もう一つよかったのは、さらにおいしいバウムクーヘンを提供したい、そのために次世代の焼成機を開発したいという想いを関係者で共有できていたことだと思います。最初はみなAIに半信半疑でしたし、一つの想いを共有するまでに苦労はありましたが、めざす方向性が一致できた後は、開発や設備の担当者だけでなく、協力してくれた職人も想いはブレませんでした。だから、外部の協力者に対しても、何がしたいのかのきちんと伝えることができました。
データにより職人の技が客観視できたことで、当初の抵抗感も解消
Q/いま、職人が協力してくれたとおっしゃいましたが、経験と勘で技を磨いてきた職人にAIに対する抵抗感はなかったのですか?
A/はい、最初は抵抗感がありました(笑)。俺の焼き方がAIにわかるはずがないと思ったでしょうね。データを取る際には、職人の体にセンサをつけてもらう必要もあるので、面倒くさがられもしました。
ところが、実際にデータを取って見せると、職人の感覚にあっていたのですね。回転速度の絶妙な手際も正確にデータに反映されるのです。また、こうすればこうなるんじゃないかと試した結果がデータからも読み取れる。そういったことから、よりおいしくバウムクーヘンを焼くのに、データが使えることに気づいたのでしょう。徐々に協力してくれる職人が増えていきました。
Q/職人の技を具体的にどのように「THEO」に機械学習させたのですか?
A/ベテランの職人が実際に焼いてみて、焼成時間やオーブン内の温度、バウムクーヘンの表面温度や焼き色、回転速度など有意性のあるパラメータでデータを取ります。それを教師データとして機械学習させ学習済みモデルを作成し、実際に焼いてみた結果をフィードバックして修正を加える。その繰り返しです。修正を重ねるごとに学習済みモデルはより良くなるので、現在もAIは学習を続けています。
一方で、データを取ると職人のくせやムラが客観的に見えてきます。職人自身がデータから自分のくせやムラに気づき、焼き方を修正しながら、それをまたデータにとって検証し、くせやムラを改善するのに役立てています。
焼成機につきっきりにならずに済むので、その時間、クリエイティブな仕事に専念
Q/現在は「THEO」をどのように使っているのですか?
A/自社工場でのバウムクーヘンの製造は、いまのところはまだほとんど、従来どおり職人が既存の焼成機を使って焼いていますので、「THEO」は主役になっていません。
「THEO」の主な目的は、生産性の向上や人員削減ではなく、おいしいバウムクーヘンを焼くこと、そして言葉で伝えられない熟練の技をAIがサポートし、AIで再現された味と自分の味の違いを見つけ、味のチューンナップを行い、さらにおいしくすることです。ですので、現時点では、先ほど申しあげたとおり、ベテラン職人が教師データをさらにより良くするためにデータ取りを続けたり、職人が自身の手際を見直して技術を高めるのに活用しています。そして、再びそれを「THEO」に教えていく。いわば「THEO」は職人のそばで仕事を手伝いながら、焼き方を学んでいる一番弟子なような位置づけです。
また、これまではバウムクーヘンを焼いている間、職人は焼成機につきっきりでしたが、「THEO」に任せれば、その場を離れられるようになります。焼成機の前は非常に熱いので、かなりきつい仕事ですが、「THEO」のおかげでそれも解消できます。さらに「THEO」が焼いている間、レシピの開発や生地づくりなどクリエイティブな仕事に専念できるので、職人の労働環境や仕事の内容はこれからどんどん改善されていくでしょう。
Q/冒頭の概要にも記述がありますが、工場の外でも活用されているのですね?
A/はい、名古屋にある「BAUM HAUS(バウムハウス)」に3台設置して、その場で焼き立てを販売していますし、各地の百貨店で「バウムクーヘン博覧会」を開催し、「THEO」を持ち込んで、焼き立てのバウムクーヘンを食べていただくイベントを開催しています。
また、各地の洋菓子店・和菓子屋やカフェ、結婚式場などに「THEO」を貸し出すビジネスを始めています。当社は、創業以来ずっと一般消費者にバウムクーヘンを販売するBtoCのビジネスを行ってきましたが、今後は「THEO」を業務用にレンタルするBtoBのビジネスを事業の第二の柱として展開していく考えです。
Q/「THEO」の今後の課題は何でしょうか?
A/現在、焼成の工程をAI化していますが、バウムクーヘンのおいしさは焼成だけでなく、もとになる生地の状態や「THEO」を設置している環境にも影響されます。
例えば、生地の原材料となる卵やバターは季節によって質が変わるため、そのときどきで生地も一様ではありません。材料が同じであっても朝一番と昼とでは生地の状態が変わってきます。また、季節によって「THEO」を設置している場所の温度が変化します。いずれの場合も、同じ条件で焼いていては仕上がりが安定しません。
したがって、ベテランの職人の技を100%安定して再現するためには、生地や外部環境の要素もパラメータにしてデータを収集・解析し、AIに学習させていく必要があります。これが「THEO」の今後の課題です。
BtoBビジネスの先にめざす「バウムクーヘンテレポーテーションネットワーク」
Q/いまおっしゃった「THEO」をレンタルする新たなBtoBビジネスとは、どういうものでしょうか?
A/洋菓子店・和菓子屋やカフェ、結婚式場をはじめ、バウムクーヘンを取り扱っていただける店舗や会場に「THEO」を貸し出し、1本焼くごとにロイヤリティを徴収させていただくビジネスです。バウムクーヘンを焼く技術をお持ちでなくても「THEO」を使って焼いていただくことができます。当社にとっては、一般消費者にバウムクーヘンを製造・販売するこれまのビジネスとはまったく異なる新規事業です。
Q/BtoBビジネスを今後、どのように展開していくお考えでしょうか?
A/当社にはドイツの国家資格であるマイスターが5名いるのですが、彼らの教師データをもとにした学習モデルをつくりました。それだけでなく、他店のバウムクーヘン職人にもデータ取りをお願いしており、そのうちお一人の学習モデルはすでに完成しています。
バウムクーヘンは、職人それぞれが素材の配合、生地の立て方、焼き方について独自のノウハウを持っていて、この3つが揃ってその職人ならではのバウムクーヘンができあがります。そこで、今後は当社だけでなく、各地のバウムクーヘン職人のネットワークをつくり、職人たちの教師データやレシピをクラウドにあげて、レシピデータバンクを構築する計画を進めています。当社ではそれを「バウムクーヘンテレポーテーションネットワーク」と呼んでいます。
そして、「THEO」設置のお店はそのデータやレシピを自由に使っていただけるようにしていく予定です。今月はユーハイムの職人のレシピで作り、来月は別の洋菓子店の職人のレシピで作るという具合に、全国のどこの店でも、物流を介さずにいろんな職人のバウムクーヘンを提供できるようにするのが目標です。
当社のレシピに関していえば、卵、バター、小麦粉などの主要材料に関する情報も公開し、ご要望があれば仕入先をご紹介しています。今後は、他店のバウムクーヘン職人にも材料情報の提供にご協力いただければと考えています。
Q/職人の皆さんはそこまで公開するのに躊躇されるのではないですか?
A/はい、ご自身が培ってこられたノウハウですので、無理強いはできません。しかし、一方で職人が苦労して開発したレシピや技も、そのままでは世の中に出回ることなく、職人一人の世界で終わります。その技やレシピを多くの人が利用できるとなれば、職人の努力ももっと報われるのではないでしょうか。
もちろん、ノウハウを無償で提供いただくわけにいきませんので、教師データやレシピ、材料情報を公開してくださった職人にはロイヤリティの一部をレシピ使用料としてお支払いいたします。レシピを著作権化することも検討したいと考えています。ネットワーク上でお互いにレシピを交換したり、さらにおいしいレシビが公開されたりと切磋琢磨していけば、バウムクーヘンの普及や食文化の向上につながるものと期待しています。
まとめ
- ユーハイムは、南アフリカでバウムクーヘンをつくろうと、インターンネットを介して遠隔操作するバウムクーヘン焼成機の開発に着手。それは行き詰るが、焼成のメカニズムを解析し、ベテラン職人でなくても使える次世代焼成機の開発へと移行した。
- メカニズム解析のため様々なデータ取りを始めたが、人手で処理するのは不可能となり、AIの開発をスタート。大学の先生の協力のもと、有意性のあるパラメータや使えるデータを割り出し、その後、画像処理を得意とするメーカーの協力でAI焼成機を開発。
- 大学の先生やメーカーとうまくコラボできたのは、その前から試行錯誤しながら様々なデータを蓄積し続けていたこと、そしてさらにおいしいバウムクーヘンを焼けるよう、次世代焼成機を開発したいという想いを関係者で共有できていたことにある。
- 職人は最初、AIに抵抗感があった。しかし、実際にデータを取って見せると、職人の感覚にあっており、絶妙な手際も正確にデータに反映されることで、よりおいしくバウムクーヘンを焼くのに、データが使えることに気づき、協力する職人が増えていった。
- 「THEO」の主な目的は、生産性の向上や人員削減ではなく、おいしいバウムクーヘンを焼くことができるように味を進化させていくこと。そのため、AI学習済モデルをより良いものに修正ながらAIがいまも学び続けている。いわば「THEO」は職人の一番弟子である。
- 焼成機の前は非常に熱く、かなりきつい仕事だったが、「THEO」に任せれば、その場を離れられる。また、その間、レシピの開発や生地づくりなどクリエイティブな仕事に専念できる。職人の労働環境や仕事の内容はこれからどんどん改善されていくだろう。
- さらにユーハイムでは、洋菓子店・和菓子屋やカフェ、結婚式場などに「THEO」を貸し出し、1本焼くごとにロイヤリティを徴収するBtoBビジネスにも乗り出した。従来の一般消費者に向けたBtoCとはまったく異なる新規事業である。
- 全国の職人をつなぐ「バウムクーヘンテレポーテーションネットワーク」を計画中である。教師データ、レシピ、材料情報をクラウドにあげてレシピデータバンクを運営し、職人同士あるいは「THEO」の貸出先に自由に使っていただくことを構想している。
企業情報
商号 | 株式会社ユーハイム |
創業 | 青島(中国) 明治42(1909)年 横浜(日本) 大正11(1922)年 |
会社設立 | 昭和25(1950)年1月 |
資本金 | 1億円 |
年間売上高 | 186億円※2020年度(実績) |
従業員数 | 519名※2021年4月1日現在 |
事業内容 | 洋菓子・食料品の製造・販売、 レストラン・カフェの経営等 |
WEBページ | ■企業HP https://www.juchheim.co.jp/info ■THEO https://theo-foodtechers.com/ |
会社名 | フードテックマイスター株式会社 |
所在地 | 〒650-0046 神戸市中央区港島中町7丁目7番4 TEL : 078-302-1036 |
会社設立 | 令和2(2020)年11月19日 ※株式会社ユーハイムの子会社として設立 |
資本金 | 1,000万円 |
役員 | 代表取締役社長 河本英雄 取締役 山田健一 |
事業内容 | ・菓子製造機械、飲食及び喫茶用機械の設置、貸出、指導 ・食品及び材料、資材の販売 ・フードトラックによる洋菓子、食料品の製造及び販売 ・菓子、飲食及び喫茶事業に関するコンサルティング ・菓子、飲食及び喫茶商品開発 ・宣伝・マーケティング活動 |
WEBページ | https://theo-foodtechers.com/ |