一人ひとりのリアリティーに基づく、これからの新しいビジネスとは?【慶應義塾大学医学部教授 理学博士 桜田一洋 氏】
理学博士の桜田一洋氏は、大阪大学大学院理学研究科を卒業後、協和発酵工業やバイエル薬品などで創薬や再生医療の研究に携わった。その間、桜田博士は一貫してジレンマを抱えていたという。ゲノム創薬や幹細胞などを開発したものの、そういった技術だけでは生命の問題は解けないというジレンマであった。
桜田博士は山中伸弥教授とほぼ同時期にiPS細胞の作成に成功したことで有名になったが、それでも桜田博士自身はこのジレンマから抜け出せなかった。成熟した細胞が初期化されてiPS細胞が作成されると聞けば、多くの人はコンピュータのハードディスクを初期化するかのように、すべてをリセットするようなイメージを抱くだろう。しかし、実際には初期化される部分は微々たるもので、細胞の持つ自己組織化が働いてiPS細胞は誕生するのである。つまり、「生きている」ということはコンピュータのような機械になぞらえるのではなく、自己組織化から見なければならない。
桜田博士はiPS細胞の研究を通して、ますます生命を問い直したいとの思いが募った。そこでiPS細胞の研究を打ち切り、生命とは何か、人間とは何か、病気とは何かなど、AIを使って生命の根本原理を探求するために、異分野であるソニーコンピュタサイエンス研究所に転職した。同研究所では、個別医療を実現するために医療データをAIで解析する手法を開発。その研究成果を踏まえ、理化学研究所に移り、その後、AIを活用した新しい生命科学の研究に取り組んだ。桜田博士は、自身が研究する新しい生命科学は、企業が経営戦略を立てるときの発想にも大いに影響するだろうという。
そこで、AIを活用した新しい生命科学の概念と、その視点から見たとき、これからのビジネスがどのように変化していくかについて、現在、慶應義塾大学医学部教授を務められている桜田一洋教授におたずねした。
目次
自然現象や生命現象を機械になぞらえる、近代の自然科学の限界
いきなり本題に入りますが、桜田先生が研究に活用されているAIがさらに進化すれば、ビジネスはどのように変化していくでしょうか?
本題にお答えする前に、まず今の世の中の考え方の基礎になっている、近代の自然科学について、お話ししておきましょう。大きな特徴は、デカルトやニュートンから始まる近代の自然科学は、自然現象や生命現象を機械になぞらえて(メカニズムでとらえて)普遍的に理解しようとしてきたことです。
機械は例えば、特定の材料を投入すると決まった製品が生まれます。つまり、一つの因果関係(原因と結果)で成り立っています。しかし、自然にしても、生命にしても、あるいは、人間を見た場合も、複雑な現象が絡み合って日々変化しています。それを一つの因果関係からなるメカニズムでとらえることは無理な話です。そのため近代の自然科学は、いま限界を迎えています。
もちろん、メカニズムでとらえることで、これまでの自然科学は大きく進歩してきました。ですので、全否定するわけではありません。しかし、今日的課題を解決する方法論としては、役に立たないどころか、弊害が生じ始めています。
生命を機械になぞらえているという意味はわかります。心臓の動きもポンプになぞらえて説明されますよね。それがどのような弊害を生んでいるのでしょうか?
機械は外から操作できるでしょう。機械とはある目的を達成するために操作するものです。だから、これまでの人間は、人類の目的達成のために、自然も生命も操作できると考えてしまった。それによる端的な弊害が自然破壊です。CO2増加による温暖化も海洋にあふれるプラスチックゴミも、自然を操作しようとしてきた結果です。
ここで生物と機械と生物の大きな違いを申し上げておきましょう。
機械は、例えば目の前にあるこのパソコンでもいいのですが、3年前と今とを比べても内部の半導体のネットワークはまったく変化していません。明日も明後日も、このままです。それに対して、生物は日々変化しています。私がこのインタビューのあとお酒を飲みに行けば、肝臓の遺伝子発現が変わってネットワークが変わります。その積み重ねで、今の私と数か月後の私とは見た目はさほど変わらないと思いますが、細胞レベルで見ると完全に入れ替わって別のものになっています。
この根本的な違いは、機械が閉鎖系であるのに対して、生物は開放系であることに起因します。閉鎖系の機械は外部環境との間に相互作用はなく不変ですが、開放系である生物は外部から物質やエネルギーを採り込み、内部からはエントロピーを排出し、その結果、日々変化しているのです。機械は常に「在る(being)」ものなので、いつの時点を切り取って見ても同じですが、生物は常に「成る(becoming)」ものなので、長い時間の経緯をもって見なければ、その本質的をとらえられません。
機械になぞらえる単純な見方に変わる、スタイルという概念
なぜ、近代の自然科学は、自然現象や生命現象を理解するのに不十分な機械になぞらえたのでしょうか?
これまでは機械になぞらえるしかなかったのです。人間は複雑な事象を一度に理解することはできません。数を数えるときだって、3ぐらいまではパッと見て3だとわかりますが、4以上になってくると、一つずつ指を折って数える必要が出てきます。人間の認知能力はそれだけ低いのです。だから、自然現象や生命現象を把握するときも、複雑な部分をそぎ落として、原因と結果というシンプルな因果関係で理解するしかなかったのです。
ところが、最近はセンサが飛躍的に発達し、複雑な現象も膨大なデータとして収集できるようになりました。ものすごく大きな変化です。それに加えて、AIが登場したおかげで、人間にはとても処理できない膨大なデータ処理をして、複雑な事象を複雑なまま正確にとらえられるようになりました。センサとAIの力を借りることで、人間は自身の認知限界を大きく超えられるようになったのです。
認知限界を超えることで、機械になぞらえる見方に変わり、どのような新たな見方が生まれるのでしょうか?
医師が一人の患者を診察する場面を思い起こしてください。医師は患者の訴えを聞き、問診をし、検査結果を見ながら、医学的知識に照らして診断を下し、その診断に基づいて治療を行います。しかし、現在の医学的知識や治療技術は人類全体を標準化して当てはめた普遍的なものであり、患者一人ひとりの個別の状況にピッタリと当てはまるわけではありません。本当はこれでは最適な診断や治療はできません。
先ほど申し上げたとおり、生物である人間はだれもが生まれてから外部環境との間で様々な相互作用を重ね、それぞれ独自の変化を遂げて現在があり、この先も変化し続けています。その結果、一人ひとりは決して一律にくくれない大きな違いあります。この違いのことを私は「スタイル」と呼んでいます。医師は患者のスタイルをとらえることで、的確な診断と治療ができるわけですが、従来は患者の生まれてからのすべての経緯を詳細にとらえることなど現実的にできませんでした。それがAIの進化によって可能になったのです。
いよいよAIが診察や治療を行うようになるのでしょうか?
いえ、AIには心がないので、医師の代わりはできません。患者の痛みを自分の痛みとして感じ取ることのできる医師しか診察や治療はできません。拡張知能医学といって、AIの役割は医師の圧倒的に低い認知限界を補うことにあります。眼鏡のレンズにディスプレイのついたスマートグラスを医師がかけて、ディスプレイに表示される目の前の患者の詳細な情報を見ながら診察するという方法になるかもしれませんね。
ここまで医療のお話をしてきましたが、ビジネスの分野でも同じことがいえます。一人ひとりのスタイルは多種多様に異なるため、求める商品やサービスも千差万別です。それをあるがままにとらえて、個別の商品やサービスを提供する方向に、ビジネスは大きく変化していくでしょう。
現在のビジネスは「こうすればこうなるだろう」という仮説に基づいて行われています。その仮説を市場調査や、あるいは、実践してフィードバックするというPLAN・DO・SEEの方法論で検証してします。しかし、仮説はあくまでも仮説。本当の現実(リアリティー)に基づいたものではありません。膨大なデータを解析してとらえた、一人ひとりのスタイルこそが、現実(リアリティー)なのです。
つまり、現実(リアリティー)に迫ろうとすれば、一人ひとりのスタイルに着目しなければなりません。「こうすればこうなるだろう」という原因と結果の単純な因果律だけでは、現実(リアリティー)を見落としてしまいます。私はこういったリアリティーに基づくビジネスこそ、仮説に基づくビジネスに代わる、新しいビジネスのあり方だと考えています。もう少し情緒的に言うと、一人ひとりのスタイルが望む豊かさや幸福感は千差万別です。リアリティーに基づくビジネスは、その個々の幸福感に対応するという意味で、どんな企業にとっても最終的な目的となる、人々のハピネスを追求する活動だといっていいでしょう。
外部からの操作ではなく、自発性に委ねることが、これからのビジネス
リアリティーに基づくビジネスとは、具体的にどのようなものでしょうか?
ここまで申し上げてきたとおり、一人ひとりのスタイルに応じてビジネスを展開することですが、もう一つ非常に重要な特徴があって、それは一人ひとりの自発性に委ねるという点です。
「スタイルに応じて」と申し上げると、一人ひとりの好みに応じて商品やサービスを勧めるビジネスと勘違いされる方がよくいらっしゃいます。しかし、このビジネスはすでに存在しています。Googleでワインを検索すると、そのあとFacebookに次々とワインの広告が表示されますよね。ワインが好みだと判断し、ワインが欲しくなるような広告を表示して、購買行動を操作しようとしているわけです。こうした現在のマーケティングを否定するつもりはありませんが、少なくともそこには自発性はありません。
自発性とはどういうことですか?ピンとこないのですが…。
自動車を例に出して説明しましょう。いまの自動車はコンピュータとセンサの塊で、前に人がいればアラートが出ますし、ぶつかりそうになれば自動的に停止します。でもこれは自発性とは関係ありません。
BMWはもっと進化していて、ヘッドアップディスプレイ(フロントガラスの上にバーチャルリアリティのように出る画面)に、運転に必要な様々な情報がリアルタイムで表示されます。道路の制限速度を読み取って表示すると同時に、運転中の実際の速度も表示します。ほかにも、進行方向の先にある分岐点などもリアルタイムに表示します。外の交通標識や車内のダッシュボードに目を配らなくても、フロントガラスのヘッドアップディスプレイだけを見ていれば済むので、いわば人間の知覚を拡張してくれることになります。また、仮に制限速度を大幅に超えていても、スピードを落とすかどうかはドライバーの自発性に任されます。画面にはリアルタイムに情報が表示されるだけで、特定の行動を促されることはないので、操作ではなく自発性なのです。
なるほど、面白いですね。自動車以外にも採り入れられているのですか?
近い将来、スマートグラスにその人のスタイルに応じて必要な情報が提示されるようになるでしょう。電車のなかで他の乗客ともめ事が起こりそうになったとしましょう。人間は誰しも些細なことでカッとすることがあります。そのときスマートグラスに、自分の激情している状態やもともと機嫌が悪かった原因、過去にちょっとしたもめ事から大きなトラブルが生じた経験などが客観的に表示されれば、気持ちが収まるはずです。四六時中リアルタイムでデータを取ってスタイルを把握していれば、その場に有益な情報を逐次表示することが可能です。この場合、外部から操作されたわけではなく、情報を見ながら自発的に行動を変えたことになります。
人は自分自身のことはなかなかわからないものです。一人ひとりがAIの手助けによって自分自身を知り、自分のスタイルに沿って幸せに暮らしていく。そういった支援をしてくれるサービスが、リアリティーに基づいたサービスです。 ちなみに、スマートグラスは開発されてかなり経ちますが、あまり普及していません。人を支援する情報として何を表示させるのかが次の課題です。これが見つかれば大きなイノベーションを生むでしょうね。プラットフォームの得意な欧米人がスマートグラスを開発しましたが、そこに乗せるきめ細やかな支援サービスは日本人の出番じゃないかと私は期待しています。
いまのお話でスマートグラスに表示される情報は、いわば“内なる自分”ですね?
そのとおりです。そこが大事なところです。先ほどFacebook広告の話をしましたが、あれは人の過去の行動(購買行動や検索行動など)を外から見て、その人の嗜好を推定し、好まれそうな広告を表示して購買を促すわけです。これを外部観察者視点というのですが、それが操作につながってしまうのです。
ところで、川端康成の『雪国』は「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という書き出しで始まるのはご存じでしょう。おそらく多くの日本人は、真っ暗なトンネルの先に見える1点の白い出口がどんどん大きく迫ってきて、トンネルを抜けた瞬間、車窓の外にパッと白銀の世界が広がる風景を思い浮かべると思います。これは列車に乗っている主人公の目線で見た風景です。ところが、英訳は「The train came out of the long tunnel into the snow country」と、外から列車の動きを見る表現になります。外部観察者視点ですね。それに対して、原文の日本語のほうは主人公の目線で見ています。これを内部観察者視点といいます。
リアリティーに基づくこれからのビジネスは、内部観察者視点が重要になります。そしてAIの進化がその見方を可能にします。一人ひとりのスタイルが違うために、内部から見えている世界も一人ひとり異なります。そこから一人ひとりの将来の予測や期待も違ってきます。内部観察者視点から見た予測や期待にフィットしたサービスを享受できたときに、人は幸福(ハピネス)を感じるものと思います。
プライバシーを守るためのエッジコンピューティングの閉じた世界
ここまでのところで、一つとても気がかりなことがあります。スマートグラスに、ときどきの必要な情報が表示されるのはいいのですが、その背景に個人の膨大なデータが蓄積されているわけですよね。丸裸にされているようで怖いのですが…。
気がかりだとおっしゃるのは当然です。AmazonやFacebookに自分の好みを知られることでさえ、いい気持ちがしないのに、長年リアルタイムで収集された膨大な個人データが丸裸にされるのは絶対に嫌ですよね。でも、それを回避する方法があります。
膨大なデータをもとにアルゴリズムを開発するのは匿名でできます。そして、アルゴリズムができたら、それを個人のスマートフォンに実装しておけば、スマートグラスで収集したデータをスマートフォンの中で解釈してフィードバックさせることができます。しかも、そのアルゴリズムはどんどん学習を重ねます。どこか中央にデータを持っていく必要がなく、端末だけで処理することをエッジコンピューティングといいます。要は、GoogleやAmazonにデータを渡さずに、エッジでの処理だけでサービスが受けられるので、どの企業からもあなたのプライバシーは守られるというわけです。
それで安心しました(笑)
ただ、あえて問いますが、そもそもプライバシーは守られなければならないんでしょうか?もちろん、プライバシーの保護は非常に重要です。個人情報を盗まれて、不本意に外から操作されるのは誰しも嫌なものです。しかし、それは世の中が悪意に満ちているからでしょう。もしも将来、人がみな豊かになり、差別もなくなり、その結果、悪意もなくなれば、プライバシーなんて関係なくなるはずです。
そのような社会がすぐに実現するとは思いませんが、なぜこのような話をするかというと、生物の根本的な理論に基づけば、情報は外部にどんどん発信するほうが進化・発展するということをお伝えしたいからです。鳥だってたえずさえずっているでしょう。天敵から身を守るには静かにしていたほうがいいのに、それではコミュニケーションが取れません。
人間だって同じで、プライバシーを守るために閉じこもっているより、皆が外に向かってどんどん情報発信したほうが、より大きな進化・発展が望めます。今は無理でしょうが、将来、社会が成熟すれば、プライバシーという概念がなくなるかもしれません。それが究極のハピネスな社会だと思います。
次の新しいビジネスは、リアリティーに基づく発想の転換から生まれる。
AIは膨大な画像の中から不良品をはじいたり、逆に正解を見つけたりするのが得意だと思っていましたが、いまはもっと進化しているのですね。
はい、これまでのAIはゴールが決まっていて(正解の画像が決まっていて)、それをめざすものです。もちろん、人間にはたどり着けないゴールにも、驚くほど速くたどり着けます。しかし、今のAIはそれにとどまらず、決まったゴールがなくても、答えを自ら創造する力を持っています。
あるファッションデザイナーとのコラボレーションで、二つのAIを使ってドレスをデザインした実例があります。一つのAIにあるファッションデザイナーがデザインしたドレスのデザインを機械学習させます。もう一つのAIには全然関係のない画像を生成させます。その画像を機械学習したAIに見せると、「これは自分が学習したデザインではない」と判断して差し戻します。差し戻されたAIはそれを元に改良した画像を提示して、機械学習したAIにもう一度見せます。それがまた差し戻されます。これを二つのAIの間で延々と繰り返すと、徐々にそのデザイナー風の新しいドレスデザインが生まれます。実際には、最後にデザイナーが手を入れないと完成しないのですが、デザイナーはAIの生み出したデザインを参考にして新しいデザインを完成させたことになります。このドレスは、2019年3月20日のAmazon Fashion Weekで発表されました。
このように、これからのAIは新たな未来を創造することができるのです。
リアリティーに基づくビジネスへと転換するなかで、企業経営者はどのようなことを心がければいいでしょうか?
経営者に限らず、見方や発想を180度変えなければならないでしょうね。新商品を開発するのであれば、個々のお客様がどのようなハピネスを望んでいるかを考えて、商品を再定義するところから始めるべきでしょう。
ある製薬メーカーのコマーシャルが人気で、YouTubeの再生回数が1,000万回を超えたそうです。最後に「私だけの治療法をください」というメッセージで終わるコマーシャルです。病名が一緒でも、症状や体の状態は一人ひとり違います。ですので、「私だけの治療法をください」というメッセージは、多くの人々の心の叫びではないでしょうか。
19世紀の製品は一品ずつ手作りのクラフトプロダクション(工芸品)でした。それが産業革命を機にマスプロダクションへと向かい、その後、マスカスタマイゼーションを経て、いまやパーソナライゼーションへと移行しつつあります。もしも、相変わらずマスプロダクションのことを考えている経営者がいたなら、もうそこには掘る所はないですよと申し上げたい。「私だけの治療法をください」といった個別サービスの発想でビジネスを考えないとジリ貧になるのは間違いありません。
ソニーのゲーム事業は「リカーリングビジネス」の方向に舵を切りました。「リカーリング」とは「繰り返す」という意味で、ゲーム機とソフトウェアを販売して終わりではないということです。ゲームだけでは飽きがきますが、インターネットを介してユーザー同士がやり取りしながら、ゲーム中のアイテムを買うのですね。ゲームはコミュニケーションツールとなり、ソニーのビジネスは継続するわけです。 だから家電メーカーも、冷蔵庫のデザインで悩んでいる場合じゃありません。冷蔵庫はモノを入れて冷やす空間から、全然別のものに再定義する必要があります。冷蔵庫はひょっとするとコミュニケーションツールに進化するかもしれません。一人ひとりのスタイルに応じて何が本当のハピネスなのかを根本的なところから問い直さないと、次の新しいビジネスは生まれないと思います。
まとめ
- 近代の自然科学は、自然現象や生命現象を機械になぞらえて理解してきたが、自然にしても、生命にしても、複雑な現象が絡み合って日々変化しているので、それを機械になぞらえることは無理であり、そのため、近代の自然科学は、いま限界を迎えている。
- 近代の自然科学に基づいた結果、人間は、人類の目的達成のために、自然も生命も機械と同じように操作できると考えてしまった。それによる端的な弊害がCO2増加による温暖化や海洋にあふれるプラスチックゴミ自然破壊などの環境破壊である。
- センサの飛躍的な発達とAIの登場のおかげで、機械になぞらえ単純化して理解していた複雑な事象を、複雑なまま正確にとらえられるようになった。センサとAIの力を借りることで、人間は自身の認知限界を大きく超えられるようになったのである。
- 人間はだれもが生まれてから外部環境との間で様々な相互作用を重ね、それぞれ独自の変化を遂げて現在があり、この先も変化し続ける。その結果、一人ひとりは決して一律にくくれない大きな違いあり、この違いのことを「スタイル」と呼ぶ。
- 現在のビジネスは仮説に基づいて行われており、本当の現実(リアリティー)に基づいたものではない。膨大なデータの解析に基づく一人ひとりのスタイルこそがリアリティーであり、リアリティーに基づくビジネスこそ、新しいビジネスのあり方だ
- Facebook広告とリアリティーに基づくビジネスとの大きな違いは「操作」と「自発性」にある。Facebook広告は人の過去の行動を外から見て、好まれそうな広告を表示して購買を促す。これを外部観察者視点といい、購買行動を外から操作することにつながる。
- 一方、将来、スマートグラスにその人のスタイルに応じた情報が提示されるようになるだろう。その情報は“内なる自分”であり、内部観察者視点である。その人が情報を見て、自発的に行動するのを支援するのがリアリティーに基づくサービスの一例である。
- 個人情報を守る方法として、端末で処理するエッジコンピューティングがある。匿名で開発したアルゴリズムを個人のスマートフォンに実装すれば、収集したデータをスマートフォンの中で解釈してフィードバックできるため、企業などに提供される恐れはない。
- リアリティーに基づくビジネスへと転換するなかで、企業経営者が心がけるべきことは、一人ひとりのスタイルに応じて何が本当のハピネスなのかを根本的に問い直し、見方や発想を180度変えたところから、商品を再定義することである。